2008年08月10日号
オピニオン 『通り魔事件』
総合的検証が必要
余計な悲しみのない社会を
先日、同じ大学生の生命が失われた。何の前触れもなく、一人の身勝手な男によって。七月二十二日午後九時半ごろ、京王八王子駅ビルの書店で見ず知らずの男に、中央大学四年生が刺殺された。いわゆる通り魔事件である。
事件が、駅ビルの書店というありふれた場所で起こったことにも驚いた。三田で言えば、田町駅近くの虎ノ門書房、日吉で言えば、駅ビルの天一書房で、人が刺されたと考えると恐ろしいことである。
それにしても、最近、通り魔事件のニュースがよく目につく。三月には茨城、六月には秋葉原。つい最近、八月にも平塚で事件があった。理由があろうとも、殺人は許されない。しかし、通り魔は被害者にとって、理由もなく、予測不可能である。
ここ近年、世間を震撼させる若者の凶悪犯罪が増えている印象を受ける。しかし、これに対しては懐疑的な声もある。実際、東京都総務局「東京都統計年鑑」を見ると、一九六五年以降、多少の上下はあるものの、少年の凶悪犯罪が激増していることは確認できない。また昨年、「戦前の少年犯罪」(築地書館)という本が出版された。この本は、戦前の方が今よりも、はるかに凶悪な少年犯罪が多数起きているということを、データを上げて分析している。
これはある種のイメージがあるとも考えられる。よく「最近の若者は…」という表現を聞く。しかし、このフレーズが登場したのは、今に始まったことではない。おそらく大昔から使われていた言葉だろう。
思うに、時代背景の違いからくるものではないか。戦前戦後は、まだ発展途上や復興中で、雑多な熱気がある社会だったと思う。しかし現代は、安定期に入り、むしろ停滞感が漂っている。その中、強烈な事件が起こると、否が応でも印象に残る。「まさか、この日本でそんな事件が…」という感覚ではなかろうか。
もう一つは、メディアの発達があるだろう。昔は、凶悪犯罪が起こっても、その事実を知らない人がいたのではなかろうか。現代は、情報網が発達し、何かあれば、リアルタイムに発信される時代である。
このように考えると、単純にデータを持ってきても意味がない。より様々な要素を加味しながら、総合的に検証していく必要があると思う。
そして、重要なことは分析することではなく、問題を解決していくことである。突発的な犯罪者は、自身の感情をコントロールできていない場合が多い。そして、問題の原因を周囲に責任転嫁している。しかし、自身の不平不満を爆発させ、他人を傷つけることは許されないことである。まずは、自らの負の感情を克服していく取り組みが必要だ。
また、孤独感とは関係性の中で感じるものである。その意味では、本人の問題と同時に、周囲のアプローチも重要になってくる。ぜひ、お互いが努力しあいながら、余計な悲しみを生み出さない社会にしていきたい。
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