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2008年08月10日号

塾員投稿 『独立自尊の生き方~団塊世代の参考に②』 宮島将郎

  若手が世に出るチャンスを
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★未来からくる演奏家を聴く会

 日本テレビで作った番組のひとつが「私の音楽会」。番組を始めた35年前、日本人のクラシック演奏家、とくに若手が世に出るチャンスは極めて限られていた。音楽業界も、聴衆も、日本にどんな演奏家が居るか知らなかった。在京オーケストラが客演に招くのは外来ばかりで、まれに日本人の大御所が混じる状況だった。そこで、わたしは「日本人を聴こう」をコンセプトに「私の音楽会」を始めた。読売日本交響楽団がレギュラー出演する1時間番組。毎回一人のゲスト=<私>はコンチェルトと小品を弾き、音楽との関わり方についてのインタビューに答える。作る意味があり、クラシック愛好家が見たくなる番組が目標だ。

 その一方で番組の課題は「質」をどう実現するかだ。テレビ番組はプロデューサーやディレクターの好みに左右されることが多いが、優れた演奏家を発掘し、世に問うには、選ばれた演奏家も、そして選ばれなかった演奏家も、さらに聴衆もが、納得する基準が欠かせない。わたしは信頼する音楽評論家丹羽正明氏と藤田由之氏に基準を託した。各方面からの情報をもとに、演奏家の選択にはわたしも加わり、一人でも反対すれば選ばないという厳格なガイド・ラインを引いた。基準は演奏の良否で、知名度やコネは無視した。その結果「私の音楽会」は演奏家、音楽業界、聴衆から賞賛される番組となった。某局のプロデューサーも「あの番組は福音です」と絶賛してくれた。隔週の番組は11年半続き、約280本を放送した。わたしが46歳で日本テレビを辞める前、若い演奏家たちに呼び出され、後進が世に出るチャンスを作るため、局に留まるよう説得されたのは嬉しい思い出で、辞めたあとに彼らの不安が的中したのは辛い思い出だ。余談だが、無名で視聴率の取れない演奏家のギャラの高さが社内で問題になり、価値をアイドル歌手と比較した議論の末、押し切ったことも音楽マネージャーから信頼された一因だった。

 局を辞めてから13年後、高校の先輩が経営する専門学校のホールでのコンサート・シリーズを頼まれた。久しぶりに音楽の世界に戻ったわけだが、依然として若手への門は閉ざされていた。そこで始めたのが、今年12年目で140回を超える「未来からくる演奏家を聴く会」(非営利・会員制)。若い演奏家はリサイタルを開くことが経済的、物理的に難しく、開けても、客の大半が親類縁者だ。演奏家はステージで育つのだが、これでは育つわけがない。「未来からくる演奏家を聴く会」は、演奏家に負担をかけず、一晩のリサイタルで存分に腕を振るわせ、一般の聴衆が聴いて成長を支える。会場となる代々木上原の瀟酒なホール、ムジカーザのオーナーが格別な便宜をはかってくれるのも、会の趣旨に賛同してのことだ。会は赤字だが、初めてのリサイタルに緊張しつつも、才能のすべてを傾注して熱演する若い演奏家の音楽が、わたしの人生を豊にしていることは言うまでも無い。
                                               (次回は「江戸クラフト」)

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