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2006年09月10日号

『あの戦争になぜ負けたのか』 半藤一利・保阪正康ほか著、文春新書

論客6人が対米戦争を論ず

 昨年、話題になった映画『男たちの大和』で、負けると分かっている沖縄へ片道の燃料だけで出撃した理由を、「死ぬことによって日本を目覚めさせるため」と語らせていた。つまり「特攻」の思想で、これが「日本恐るべし」の印象となり、戦後の安全保障に役立ったのは事実だ。

 しかし、そもそも負けると分かっていた対米戦争をなぜ始めたのか。日本人にとって重い問題を、論客六人が縦横に論じている。

 最大の原因は、泥沼化した日中戦争から、欧州の戦争を利用して抜け出そうとしたこと。第一次大戦後、経済ブロック化を強める世界で日本が生き残るには、中国・東南アジアを含めた経済圏をつくるしかなかった。それを妨害したのが英米。特に、蒋介石を応援する英国の力を排除するため、日本は日独伊三国同盟を結ぶ。

 しかし、それはドイツが勝つという楽観的な予測に依存していた。同盟成立の報に、「これで日本と戦える」と英米首脳は喜んだという。大陸に深入りした、日本の基本戦略の失敗だった。

 初戦の真珠湾攻撃が成功したため、作戦を立案した山本五十六連合艦隊司令長官の評価は高いが、半藤氏は、無理な真珠湾が失敗の始まりだという。日本近海で敵を迎え撃つ兵力しかないのに、太平洋のかなたにまで戦線を広げる結果になったからだ。海軍は国際派とされるが、規模が小さいため、トップは互いに顔見知り。重要な決定も、「山本がどうしてもと言うのなら」と、最後には感情論が優先したという。

 中西氏は、第一次大戦を経験しなかった日本は、総力戦における情報の重要性を知らなかったと語る。そこには、諜報はじめ価値観、思想、国民感情や宣伝工作も含まれる。しかも、それは「引き延ばされた戦後」として、現在にも重い影を落としているという。共産主義がまだ生きている東アジアにおいて、重要な発言である。(T)【税込八四〇円】

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