2005年04月10日号
<塾員インタビュー「世界を照らす独立自尊」> 伊藤達也 金融担当大臣
“生き方”学んだゼミ時代
今回、お話を伺ったのは、伊藤達也・金融担当相。最近、企業経営のあり方が各方面で論じられたり、政府の構造改革が進む中、伊藤大臣が発言する機会も多く見受けられる。伊藤大臣に日本経済の展望についてお伺いするとともに、慶應大学での思い出や、新入生へのメッセージを語ってもらった。
――大臣の大学時代の思い出についてお聞かせ下さい。
よく遊んだのを覚えていますね。テニスをしたり、映画を作ったり、アルバイトに精を出したり、私は法学部法律学科だったのですが、そのゼミの活動を一生懸命やったり…とにかく四年間色んなことをしました。その中でも、ゼミの指導教授が大変見識が高く、尊敬できる方で、先生の教えを通して物事を考えることの大切さを学び、法律の勉強も非常に面白くなりました。またその先生は趣味もたくさんお持ちで、おかげでやくざ映画のおもしろさや浅草の魅力なども知ることができました。単に法律のみならず、人間の生き方として学ぶところが非常に大きかったです。またそのゼミは有名な飲兵衛ゼミだったのですが、そこで自分をさらけ出し、ぶつかり合って、切磋琢磨した友人とは今でも親交が深いし、人との出会いという点で、非常にゼミには恵まれたと思っています。
――大学時代印象に残ったことというと?
大学時代、アルバイトで種子島に行き、ロケットの打ち上げ作業の手伝いをする機会がありました。当時、液酸・液水の新しいエンジンを開発した技術者の方がいらっしゃったのですが、ちょうどそのエンジンの燃焼テストに成功される場面にも立ち会うことができました。そういった中で、技術者の人々の語る夢の壮大さ、構想力のすごさを肌で感じることができ、実際にその夢を実現していく飽くなき執念を持った姿に非常に感銘を受けました。
社会貢献志し政治家の道へ
――政治の道を目指されたきっかけは何だったのですか。
私は大学一年生の時に母親を亡くしました。高校までは人生あまり悩みもなく、非常に恵まれていたと思います。それだけに、慶應高校入学後大学一年までの約三年半、母親の看病生活をする中で、世の中の矛盾や死というものに直面し、また「白い巨塔」がちょうど最初に放映されていたときで、医療現場の問題にも触れ、色々考えるものがありました。また母親に先立たれるのは家庭にとって大変なことで、多くの人に支えてもらい、周りの人々の助けのありがたさを非常に感じました。その時から、社会に貢献できる生き方ができないか、組織の中で送る人生もあるだろうが、もう少し自立して人生を切り開いていくことはできないか、と漠然と考え始めました。ちょうど松下政経塾が設立されて一期生を迎え、広くその活動が報じられた時期で、なんとなくそこで更に自分の可能性を試してみたい、政治家に挑戦できるかは別にして、政治という分野を真剣に考えてみたいと思いました。
――実際に卒業後、政経塾に入られていかがでしたか?
最初は入って失敗したと思いました。まるで動物園の様で(笑)世の中にこんな大ボラ吹く人たちがいるのか、と思うほど天下国家を論じる個性豊かな志士たちがたくさんいて、ここにいて本当に大丈夫かと思うことはたくさんありました。でもやはり、そこでも人との出会いは大きかったし、一つものすごく恵まれていたのは松下幸之助さんから直接指導を受けることができたことです。特に印象に残っているのが、あれだけの高齢にも関わらず、どうしたら世の中を良くすることができるかを熱く語る気持ちの若さ、そして強い危機感、問題意識のすさまじさで、他の人から受けたことのない衝撃を感じ、社会に貢献するとはどういうことか本当に考えさせられました。そこで色々な分野を五年間勉強させていただく中で、政治家として何をしていきたいかということを自分の中にしっかりと固めることができたのが非常に大きかったと思います。いきなり国政に挑戦して選挙で当選できるとはその時夢にも思いませんでしたが。
金融システム
活力を引き出す行政へ
――これからの日本における金融、産業の展望はいかがですか?
日本の経済の発展のためにも金融は非常に大切です。今までは日本経済の再生にあたり不良債権問題が大きな足かせになってきました。これに対する緊急対応に非常に多くの時間をとられ、行政的にもそういうものに重点を置いた行政というものを行ってきました。しかし不良債権問題が正常化していく中で、企業をめぐる局面というものが今大きく転換しようとしていると思います。そうした中、これからの新しい行政のビジョンとして考えていかなければならないのは、利用者の方々に極めて満足度の高い金融サービス、金融商品というものを提供することができ、かつ国際的に高い評価を得られる、あるいは地域経済にも貢献できる、そういう金融システムの構築だと思います。金融システムの安定を求める行政というものから、これからは活力というものを引き出していく行政に転換していかなければいけないと思います。
こうした考え方を基に金融庁では、構造改革の一環を担う金融改革としての具体的なビジョンとして、平成十七年度から二年間の「金融改革プログラム-金融サービス立国への挑戦-」という具体的プログラムを昨年十二月に公表し、実施させていただいているところです。このプログラムに盛り込まれている施策というものを着実に実施していくことによって、日本のこれからの発展を支えていくことのできるような金融システム、金融機能の充実というものの実現をしていきたいと思っています。
チャレンジングな、挑戦をする行政というものを心がけて今職員と一丸となって取り組んでいるところです。
――金融担当大臣という立場から見て、今の日本の問題点とは?
金融行政を担当しており、行政として利用者をしっかりと守っていくことが行政の使命であるという観点からすると、やはり日本の企業はもっと変わっていかなければいけないと思います。企業に対する信頼性というものを向上していくために、企業経営の透明性の向上や、より高い統治能力を持った企業経営に取り組んでいただきたいと思いますし、また企業が企業としての倫理観をしっかり向上させていくことが非常に大切ではないかと考えます。
――大臣にとっての慶應義塾とは?
私の父も慶應出身で、その影響が大きく、慶應に入りたいという気持ちは強かったです。父の友人を見ていて、慶應出身の人ほどユニークで、個性的で、面白い人が多かったのです。そういう人たちが学んだ慶應とは一体どういう所かと。そして実際慶應で学び、多くの出会い、経験があったからこそ今こうして行政の責任者を勤めさせていただくことができたのだと思います。卒業した今でも、選挙の時は地域の三田会の先輩方が手弁当で一生懸命応援してくれて、自分より年上の方が運転してくれたり、ポスター貼りやビラ配りをしてくださったり、また高校のクラスメイトのお父さんが地元のある地域の後援会の会長をしてくれていたりと…大学の縁のありがたさを痛切に感じました。今の仕事をするにあたり、慶應義塾が与えてくれた人の縁は極めて大きかったと思います。
――新入生に向け、メッセージをお願いします。
これからの大学四年間というものは人生において最も輝いている時でしょうし、あらゆる可能性を追求できる時期だと思います。その一方で自らが自らの人生を選んでいかなければならない時でもあります。いま日本には、大きな構想力と国際的視野を兼ね備えた実行力のある人材が必要とされていると思いますが、学ぶ機会は大学時代いくらでもあると思うので、自分の興味のあるものについてはあくなき追求をしてもらいたいと思います。そして大学生活を通して人との出会いを大切にして、その中で自分の尊敬できる師、友人を見つけることができれば、長い人生の中で非常にすばらしいことにつながるのではないでしょうか。
【いとう・たつや】1961年生まれ。80年慶應義塾高校卒。84年慶應義塾大学法学部法律学科卒、同年松下政経塾に5期生として入塾。87年カリフォルニア州立大学大学院行政学部に客員研究員として留学。88年11月帰国後、ブレーン21研究所を設立、同時に日米技術交流会議(アライアンス90')の事務総長となる。93年衆議院議員総選挙に初当選。2000年通商産業政務次官、02年内閣府副大臣(金融担当)、03年内閣府副大臣(金融・経済財政担当)を経て、04年9月から内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任。
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