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2008年11月15日号

創立150年に思う

 二〇〇八年、慶應義塾は近代総合学塾としてアジア全域でもほとんど例をみない創立百五十年を迎えた。長い鎖国の時代から、幕末・明治と開国を経て、近代化を実現してきた日本。世界を知らないアジアの小国から、いまや世界第二位の経済大国にまで発展してきた。その中で、先見の明を持った福澤先生の活躍は、日本近代化の先駆けであり、象徴と言うのは称賛しすぎだろうか。

 先生は、在野人であったため、歴史の教科書では大きく取り扱われない。そのため、大学受験で義塾に来た塾生は、先生のことをよく知らないように思う。一万円札の人、何か偉い人という程度の理解かもしれない。その本質である福澤精神を理解している者は、少ない気がしてならない。

 今でこそ、大学部は義塾の中核を担う位置にあるが、設立当初は経営危機から廃止論も出た。しかし、それに断固として反対したのが福澤先生だった。一貫教育の実現という強い思いがあったからである。そんな困難を乗り越えていきながら、諸先輩方の努力と愛塾心によって、いまの義塾は形作られてきた。塾生は、建学の精神とその歴史的な背景を、もっと知るべきではないだろうか。

 義塾の本領は、高い志、すなわち国を想い、社会の先導者たらんとする精神性である。それと同時に、実学という言葉にも表れているが、その志を実現するための具体的な実行力を持つ人材を教育するところにある。ところが、近年は、義塾の外面的な側面ばかり見て、ただのブランド大学として門をくぐる者もいる。もちろん、社中に入れば、その息づいている伝統に触れ、変わる者もいるだろう。しかし、概してそれらの者たちは、義塾の伝統と志とは関係なく、卒業していくように思う。残念なことである。

 最近、品格というタイトルのつく書籍が、よく目につく。品格という言葉がはやっているようだ。これは、それだけ世の中に品格が失われていることの裏返しかもしれない。そのような中で先日、塾生が大麻所持で逮捕されたという事件が起こった。特に残念だと思ったのは、その塾生が一貫校から上がってきた学生だったということである。本来であれば、早くから福澤精神に触れ、大学内においては、その精神と文化を先導していくべき位置にいるのが、一貫校出身の塾生と言えるのではないか。

 今回の大麻事件に関して、安西塾長は急きょ、塾生対象の集会を行った。告知されたのは前日で、また昼休みの時間だったにもかかわらず、日吉の記念館に五百人以上の塾生が集まっていた。事件とそのことへの義塾の見解に対する関心の高さが、伺い知れる。

 塾員の活躍は、若手を含め、あらゆる分野に及ぶ。これは依然として、集う人材の志、能力の高さと義塾の教育の素晴らしさを物語っている。だからこそ、義塾の一員として、相応しい品格を持った我々でありたい。百五十年という節目を通して、もう一度、建学の精神である福澤精神に立ち返るべきではないか。その精神を受け継ぐ者としての誇りと自覚を新たに、未来に向かって出発する契機にすることを誓うものである。

(慶應キャンパス新聞会編集部一同)

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塾員投稿『高く新たに…“丘の上”物語』 35 石沢幸一郎

  石川元塾長を偲んで(7)

   塾長選挙で不穏な動き

 55才の弱冠で、塾長に就任した石川さんは早速工学部を理工学部に改組し、医学部の新病棟を新築、ニューヨーク学院を開校、藤沢キャンパスを開校と邁進に次ぐ躍進を続けた。勿論塾内にも反対派があり、立ちはだかったりするが、彼等を説得し、資金調達に精力的に活躍された。

 文具三田会の先輩が、「この塾長なら、一期と言わず、二期でも三期でも続けてもらいたい……」という感想の通りに、石川塾長が二期三期と続いた。

 三田会で交詢社へ招待すると、気楽に出席して下さった。ある時の会合で先輩が、塾長に「最近の塾生は全く勉強をしない。どうなっているのか?塾の箱物は修理、新築と立派になるのに、学生の程度がさっぱりではないのか?」と痛烈な質問を出した。そのころの、司法修習生、公認会計士等々の合格の塾生の成績が、東大、京大、中大、早大、一橋等よりランクが下位に低迷している時だった。石川さんが、「よく解ります。先輩のご怒りはごもっともです。今、塾は大金の収入を必要としています。少数の学生の月謝では運用が困難なので、程度の少々劣る学生も入学させている現状です。学生の一割の学生は真剣に勉強しており、先輩たちの時代に劣らぬ学力を持っていますが、あとの学生は塾の資金のために在塾している、幼稚園組みがあります。もう暫くしたら学生の学力は比較的に向上しますから、今暫く見守って下さい」と率直な返事があった。事実、数年して各種資格合格の塾のランクが毎年飛躍的に向上して行った。

 その後の塾長選挙の度に石川さんが当選を続けられて、戦前から戦中、戦後と四期十六年務められた名塾長小泉信三先生を上回る当選を達成される……と思っていた。その頃、「看板の経済学部から塾長が出ないのはおかしい……」という空気があると伝わって来た。経済学部卒業の石川さんが、経済学部卒業なのに法学部の政治科の教授になれられたのだ……という曲折もあるのかなァと……と憶測したりした。塾の内外に箱物を整備したが、建築の時には各種の補助があるが、以後のメンテナンスには一切補助がないために常に経理は苦労をしている……などの声が聞こえてきた。

 突然「塾長を考える会」という怪文書が洩れて来て。石川塾長の勇退を勧告する……という。次に更にエスカレートした内容で、伝統的な学部から塾長を選びたい……とあからさまな主張が伝わって来た。従来、塾の目的の一つに日本国中に於て「気品の泉源、知徳の模範」というのがある。紳士良識の府に、匿名で他を誹謗するとは、フェアプレーに反する許されない行為だと思った。

 塾長選挙は各学部、幼稚舎、・・、職員などによる推選で、僅差で経済学部の鳥居さんが当選した。怪文書は三遍出回った…と知らされたが、これが鳥居さんに功を奏したとは言えない。暗躍したらしい連中とは全く一線を画した鳥居さんの明るさが威せられたのだった。石川さんは「内部の人間が書いた怪文書には違いないが……」と語気鋭く発言されたが、「怒るより悲しさを感じる……」と、四月選挙の後、感想を述べられたが、五月には新聞に“神ッ子”らしくサッパリした顔に戻って教導されていた。「実は、五期まで務める気はなかったが」、“続けて務めろ”と言われると「一生懸命やるだけ」とおっしゃっていた。怪文書が出る前に、「今度は、私がやりたいんです」と率直に、申し出てほしかったのだ。私も、地元神田で三百人たらずの会長をやっていて、四回目の推選の時に、一部に会長を担う動きがあったので、即時会長を降りたいきさつがあり、石川さんの件は、忘れられない。二度と塾内に、怪文書が流布されるような不祥事が無いよう心から願うところだ。

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塾員投稿 『独立自尊の生き方~団塊世代の参考に⑤』 宮島将郎

  番組から世直し運動

 「年寄りの逆襲」はわたしがディス・クジョッキーをしているFMラジオ番組だ。毎回「年はとっても心は錦。若けりゃいいってもんじゃない。頭が白くなったって、顔ぢゅうに皺が寄ったって、積もり積もった人生の経験。伊達に長生きしちゃいない。昔の事なら知っている。今の世の中見透かせる。さあさ一座の若い衆たちよ。昔の坊っちゃん、嬢ちゃんたちよ。仲良く一緒に遊びましょう。金曜夜八時は年寄りの逆襲。皆さんしばしのご退屈!」という大袈裟な口上で始まる。

 数年前、わたしは団地の自治会長を2年やり、地域の年寄りに大勢の知り合いができた。今では町で向こうから年寄りが来ると知り合いじゃないかと気になるほどだ。あるパーティでその中の一人、FM局の役員に会った。元テレビ屋のわたしは前から、ラジオで番組を作ってみたいと思っていたので「オレ番組作りたいんだけど」と言うと、「プロデューサーを紹介するよ」と答え、数日後にプロデューサーから連絡があり、すぐ会うことになった。

 番組名が「年寄りの逆襲」と聞いてプロデューサーは笑った。なぜ「年寄りの逆襲」なのかという問いにわたしはこう答えた・・・団塊の世代が退職し、高齢化が進むというのに、世の中は若者向けの物ばかりだ。放送も、若者をくすぐる、芸の無いお笑い芸人の番組ばかりで、年寄りや団塊の世代の価値観に応える番組が無い。社会への影響が大きい放送がこの状態では、悪が横行する社会を正せない。良い番組を誰かが作ってくれないかと思っているが、誰も作ってくれない。もう待ちきれないので、自分で作ろうと思う。番組では、遠慮なくわたしの人生と考えを語り、好きな音楽を流し、年寄りだけでなく若者にも連帯のメッセージを送りたい。

 数日後、プロデューサーから、社長が会いたいと言ってると電話があった。社長は「逆襲」という言葉に神経を尖らせているらしい。局で会った社長はわたしの話を聞くと安心し、「賛成です。いつも若い連中にわたしが聴く番組を作れと言うんですが、どうしても作れないんです。すぐ始めてください」と言った。番組が始まると社長は熱心に聴き、折にふれ感想を聞かせてくれる。番組が始まったのが4年前の7月だからすでに200回を超えている。

 「パピプペポロン」の回にも書いたが、わたしは放送にタブーを設けることに反対だ。もちろん、人種差別や宗教批判には慎重であるべきだが、些細な事柄で自主規制するのはやめるべきだ。だから「年寄りの逆襲」では馬鹿、阿呆、辞めろ、死ね、を連発してる。個人名はほとんど出さないが、馬鹿を馬鹿と、阿呆を阿呆と呼んで何が悪いのか。死んだ方が世のためになる人間に死ねと言ってどこが問題なのか。口に出さず、心の中で陰湿に罵るのは良くない。年寄りが言うべきことを言わないから世の中が良くならない。メディアも良くならない。わたしがいくら吠えても世の中が良くなると思うほどお人好しではないが、番組から世直しの運動を起こすのが夢だ。つまり「年寄りの逆襲」は「年寄りよ逆襲せよ」なのだ。さあ、諸兄諸姉も、ローカル放送局で、言いたいことを言う番組を作ろうではないか。

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